あおやまりょうたのブログ

カロテン Gt.Vo. 青山です

1999について

 


目を閉じれば

あの日の海が見える

秋の夜空に響いた

僕らの笑い声

 


美しい事が

過去のせいなら

あなたのせいにした

僕は馬鹿ですか?

 


七色の虹はもう見えないね

星に見た夢も忘れちゃうのかな

忘れてしまう事がどうしても怖いよ

思い出せるようにこの歌を歌うよ

 


同じ時代の中で

同じ街に生きた僕たちは

笑っていた

語っていた

それを奇跡と知らないままで

 


目を閉じれば

あの日の海が見える

 


同じ時代の中で

同じ街に生きた僕たちは

叫んでいた

悩んでいた

それを奇跡と知らないままで

 


同じ時代の中で

同じ街に生きた僕たちは

笑っていた

語っていた

それを奇跡と知らないままで

 


街を知って人を知って

沢山傷つき、泣いたよな

それでも沢山笑ったね

愛してくれてありがとう

 

 

 

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自分の生まれた年の数字がなんとなく好きだった。

 


ノストラダムスの大予言の事を知った時、大予言を超えて生まれてきた

奇跡の世代の子なんじゃないか?と、当時いわゆる厨二全開だった僕は本気で思ったりしていた。

 


曲名から決めて曲を書いたのは初めてだった。

 


amplestの“1999”を聞いて撃ち抜かれたような衝撃を貰ったあの日から

amanojacとmolly がそれに続いてそれぞれの“1999”を作った

 


泰世(amplest)と郁弥(amanojac)にはずっといつ作るんだ?と冗談とも本気ともとれない、どっちつかずな感じで言われ続けてはいたものの

 


正直、自分には作れないなと思ってた

 


並べて比べられる事が怖かったんだと思う

 


でも去年の夏mollyが“1999”をリリースして

その曲を聞いた時

自分も書かなくてはいけないと勝手に確信した

 


去年、秋になる前の夏に

泰世と久しぶりにバンドの事を話した

 


サビの歌詞はその時の内容をほとんどそのまま持ってきた形になる

 


でも言葉として彼から貰ったものを

僕なりに自分の言葉として

歌詞にできたと思う

 


頭の歌詞の海は

夏の大三角形ツアーのファイナルで

打ち上げで海に行った時のことで

10月だったのに何故か俺だけ海に飛び込んで

すごく静かな海に

笑い声が響いたことを書いた

 


七色の虹はバンドを辞めていった友達のライブ

星に見た夢は夏の大三角形ツアーのこと

 


全体を通して少し暗くなり過ぎてしまった気がして

どう締めくくるのか本当に悩んだ

レコーディング当日に一度変えて

撮り終わった後にもう一度変えた

 

 

 

ありがとうって言葉が好きだ

 

 

 

僕たちは奇跡だった

 

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そして奇跡はまだ終わらない

3/24 新栄バーニーズ

“あなたの栄養になりたい vol.4”

後2日

どうか見届けてください

 

 

 


バンド史上最大のニュースは大体、解散

 


シャッフル再生でイヤホンから流れる歌

そう言えばこのバンド

でらロックで、RAD SEVEN で見たなあ

なんてことを考えながら

 


年末の事を思い出す

いつもみたいに出演してすらいないライブの打ち上げにお邪魔させてもらって

年末だ、なんて騒ぎながら

ビールなりテキーラなりを飲みまくる

ちょっとだけ真剣な話もしたりして

気持ちよくなって

帰ろうとして

1人で先に階段を降りた扉の前で

たまたまばったり会って

バンドを辞めたい

って事を告げられた

 


分かった、としか言えなかった僕は

なんだかいつかこうなる未来がやってくる事をまるで知っていたみたいだった

 


何が理由かって言われたら

1番大きな理由は

自分の音楽への気持ちの問題だと思う。

年齢を重ねて

周りと比べて

自己嫌悪に駆られて

それでもと、自分を鼓舞して

いつかの未来を信じてきましたが

 


心が折れたというよりかは

今まで積み上げてきたものに、さらに積み上げるのではなく

新たに自分の人生として

積み上げていく決心をしました

 


1人でやっていく事も考えなかったわけではないですが

解散という形を選ばさせてくれたメンバーに感謝です

 


まあとやかく、SNSなり

ブログなりで

解散について言葉を残すかどうかさえ迷いましたが

 


あとは全てライブハウスに置いていく。

 


2/4 新栄RAD SEVEN

でらロック2024

3/1 新栄RAD SEVEN

Daisycall人気者化計画

3/15 下北沢近松

3/19 上前津Club Zion

3/24 新栄RAD SEVEN

あなたの栄養になりたいvol.4

 


出会ってくれてありがとう

最後まで宜しくね

 

あの日

 


「おはようございます」

いつもの女子大の街

雑居ビル

エレベーターの前に友哉さん(明日、照らす)と柴山さん(IF I FELL/2YOU MAGAZINE)がいた

不思議な光景だった

 


やっと今日が始まる

柴山さんに「明日、照らすと対バンしたい?」そう言われ、二つ返事でやりたいと言ったあの日から、

ずっとこの日が来るのが怖かった

今の僕たちが明日、照らすと対バンをして何が出来るんだろう?

そんなことを考え出したらどうしようもなくなって、前日は眠れなくて初めて原付でドライブした

広小路通りを走って、ビタミンを聞いた

 


眠れなかったんだけど、とんでもなく朝が苦手な僕でも流石にこんな日は目が覚めてしまうもんだ

エレベーターに前述の友哉さんと柴山さんと乗ったんだけど、

ボタンを押し間違えたのか、三階まで上がったエレベーターはまた一階へ下がりするとそこには、ばんさん(明日、照らす)が。

なので当然、柴山さん、友哉さん、ばんさん、僕で狭いエレベーターに一緒という

かなり貴重な経験をした

 


リハーサルを見させてもらって、それにもまた興奮して

やっぱり緊張して

朝ごはんを食べようとしたけど

おにぎり一個しか食べられなかった

緊張で食べられないなんて初めてだった

 


出番が来る。

こんなに緊張した事は軽音部の時に初めてライブをした以来ってくらい、

膝は笑ってたし

頭は真っ白だった

素直なライブが出来たと思う

フロアの僕から見て右手の方の壁に友哉さんが寄りかかってるのが見えて、ライブ中ドキッとした。

 


柴山さんが出番終わり、良かったよって言ってくれて優しい人だから優しさで言ってくれてんのかなって僕みたいな人間は思っちゃったけど顔見たらすごく笑顔で

本当に嬉しかった

 


打ち上げは新栄のや台ずし

僕は開始から、既にかなり酔っていた

何を隠そう明日、照らすとの打ち上げの緊張を誤魔化す為である。

みなさん、考えてみてください。僕が初めて彼らの曲を聴いた時、ほぼ活動は止まり、

ライブを見ることが出来るなんて思いもしなかった。そう思いながらひたすら曲を聴いた。

去年の11月友哉さんの路上ライブを見に行った。

それから7月・8月の歓楽の大名古屋

そして対バン、ましてや打ち上げでお酒の席でお話しできるなんて、思いもよらないわけです。夢見たいな光景だった。

ちなみに打ち上げでばんさん(明日、照らす)はビールを3時間飲み続けていました。

 


友哉さん

ブログ(硝子戸の中)で書かれていた「バンドとしての価値はどれだけ人の人生に関われたかで決まる」

間違いなく僕の人生に1番関わったバンドです

そんな事を僕が伝えると

「カロテンも誰かのそんな音楽であると思うよ」

大好きなバンドをやっている人は

僕の好きな人になりました

もちろん、そういう意味じゃなくて、ね笑

 


これからは僕が明日、照らすに何かを返さなければな

やるぞ

やってやる

メラメラと燃えている



1日経って、スタジオが終わって帰り支度をしているとけいせい(Ray Works)から電話が

「青山さん」

「どうした?」

「どうしても余韻が冷めなくて、昨日買った明日、照らすのCD聞いてたんですけど、そしたらカロテンのSEの曲が流れてきてなんかうるっときちゃって、思わず電話しちゃいました。昨日、本当に最高でしたよね!」

「最高だったね!また俺達で明日、照らすと何か出来たらいいね」

「それめちゃくちゃ最高です!それだけ伝えたくて、いきなり電話してすみません」

 


ずっと明日、照らすが好きでよく話す言っちゃえば、明日、照らす友達の1人のけいせい

彼からの電話で僕のメラメラと燃える気持ちは決意に変わった

 


僕にとっての“真昼のライブハウスで明日、テラスが若い人たちに会う。”はこうして終わった。

 


 


最後に柴山さん

柴山さんが居てくれたからあの日がありました

本当にありがとうございました

いつかあの日があったからここまで来れたと言える様に

頑張ります

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1番

小学校6年間

中学校3年間

高校3年間

 


ずっと出席番号は1番だった。

“あおやま”

 


とにかくなんでも1番最初にやらされた。

自己紹介、発表、健康診断

中でも嫌だったのが音楽の実技テスト

 


中学一年生の時に音楽の成績を5段階評価で脅威の“1”を叩き出した僕は音楽が苦手だった。

歌を歌えば音痴、リコーダーを吹けばメロディの音階もリズムも掴めない

 


そして僕は知っている

この音楽の実技テスト。1番最初がこけるとその後のクオリティもなんだか下がる。

いや、これは本当にそうで吹奏楽部のあの子でさえなんだか上手く聞こえない。

 


これはどうしてか?

そう、出席番号1番のあおやまが良くなかったからである。

 


音楽と空気感、あるいは雰囲気、その相関関係。

スタートの重要性。

 


最初が肝心なのだ。

 


 


自らプレッシャーをかけているようでブログを書きながら片腹痛いですが

 


来る明日、10/21 明日、照らすとの対バン

 


ずっとSEで使わせてもらっていたバンド

部屋に貼ってある「それから」のポスター

柴山さんに泣かされた夜

居酒屋で友達とビタミンを歌ったあの日

 


間違いなく、僕にとっての大きな意味を持つ日です。

 


チケット予約e+にて本日18:00まで。

 

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https://eplus.jp/sf/detail/3938730001?fbclid=PAAabkUXo_y6FrT6jhd7OMniyNarawnECaQ8UhyhXVawqTMU_rKeUmy5lCYP0_aem_AZQBu1jisBElrBCZrkFVa2KWDOExRR7DT7zGzSxQ88QJp7MlJJQM9MOflv5IaqqyVDg

 


もし予約時間が過ぎちゃっても柴山さんが何とかするそうです。笑

 


待ってます。

 

 

 

 

 

 

僕にとっての、誰かにとっての(2023.7.8 明日、照らす主催“歓楽の大名古屋”について)

僕が“明日、照らす”というバンドに出会ったのは二十歳、大学2年生の秋の始まりの頃でした

 


My Hair is Badのツーマンツアーだったかな確か。。名古屋編アポロベイスでのゲストバンドとして知りました。

 


すごいバンド名だなー、なんて思いながらなんの気も無しにYouTubeで検索して

たまたま1番上に出てきた「あの娘を返せ」のライブ映像の再生ボタンを押して

その瞬間、大袈裟でも何でもなく僕の人生は少し変わりました

 


インターネット、Twitterで調べまくって当時、丁度リリースされたばかりのPermanent Collection をなけなしのバイト代で当時付き合っていた彼女とPARCOのタワーレコードへ買いに行ったことを良く覚えています

 


そこから村上さんのブログを読み漁り、SEに楽曲を使わさせて頂き、出身が一宮で同郷である事を知り、更に大学まで同じと言う。。。これは。。。もう運命と言って差し支え無いのでは。。。?というよく分からない感情まで抱きました。(1番新しいMV「K」の撮影地が中部大学でした。初めて見た時、初めて見たとは思えませんでした)

 


僕がバンドで、カロテンとしてライブハウスで活動しようと思ったのはMr.Bouquet というバンドのおかげでした

でも、もっと言えばここまで続けることが出来たのは明日、照らすのおかげでした

 


長尾さん(RAD SEVEN)と話して悔しくて泣いた夜をバネに出来たのも、僕がメンバーを失って1人になって、それでもバンドを続けようと思えたのも

いつかこんな風になれたら

この思いが彼らに対して強くあったからです

 


本日2023年7月8日

僕は初めて明日、照らすのライブを見る事が出来ました

2019年、二十歳の頃から僕がずっと焦がれていた景色でした

 


何を着て行こうか、何を持っていけば良いだろうか、とワクワクする自分にまだこう言う感情が残っていたのだと少し感動しました

選んだのは弾き語りで一緒にやらせてもらった時に買った明日、照らすTシャツ。

少し派手なデザインと色味なので

「これ、みんなで着てたら少し恥ずかしいかもなー。でも自分のライブでカロテンのTシャツ着てくれてる人がいたら嬉しいしな。」なんて事を考えながらクラブロックンロールに向かいました(結局、僕と同じTシャツを着ている人は1人も居ませんでした、僕が見ていないだけである事を願います)

開演。初めて見れたザ・ラヂオカセッツと秀吉

半端ない程に素敵でした。

村上さんがMCで話していた「カッコいいけど直接言いたくない」僕にもそんな友達が居るので強く共感しました

 


“あなたがいないともう全然無理”

何回も何回も繰り返して映像で見たライブをする明日、照らすの姿が現実に目の前にありました

ライブ途中、少し嫌な空気になった瞬間もありましたが

でもずーっと待ってたんだもんね、ちょっとくらい良いよな

の気持ちもありつつ、許せない気持ちもありつつ

それでも一音一言をステージの上で放ってくれた村上さんに感謝です

ていうか少し怒る村上さんも、ご褒美だよね最早。ライブだもん、リアルだもん。何が起きても最高でした

 


曲が、歌が、音が体に染み渡る感覚

やっぱりライブハウスを好きで

音楽を好きで

明日、照らすを好きで

本当に良かった

 


終演後、柴山さんに会えた事も良かった

この間、社長って僕が読んでみたら照れ臭そうに笑っていた

柴山さんが居なかったらこんなにも強く愛せてなかったと思います

ありがとうございます

 


僕にとっての、誰かにとっての

どこまでも待ち望んだ夜でした

今夜の広小路はなんだかいつもと違って見えました

音楽は時を超えて、ライブハウスは人を繋げて、ロックバンドとは素晴らしい文化であると改めて認識出来ました

 


少し長くなり過ぎましたが、

僕にとっての言葉にしないといけない夜でした

明日21時、僕のバンドより大切な解禁が二つあります

楽しみにしていてください

おやすみなさい

久しぶり

バンドを辞めた友達に会った

 

僕らカロテンがまだ大学の部活動という枠を超えて活動をし始めた頃、対バンをして

音楽を通じて、ライブハウスの中で仲良くなった友達

 

初めてのツアーも彼らと行った

 

その時は7th Wonder tour 2021だった

 

久しぶりに友達に会うと柄にもなく緊張する。あの頃は3日も会わなければ何となく全然会ってないなって思ってしまって

会ってみたら少し緊張していたくらいなのに

それが1年以上にもなると

自分の想像を超える緊張をする

なんなんだろうね、これ

 

自然に、自然に、なんてことを思いながら

なんだよこれ、女の子とデートする前みたいじゃん、なんてしょうもない事を考えながら

一言目はどうしよう。よっ、元気してた?なんて言ってみればいいかな

 

集合場所に行くとそこには髪がだいぶ伸びた、あいつがいて

その髪型、何だよとか言って緊張を誤魔化す

元気そうで何より、嬉しさに満ちる

 

話してみればお互いの状況は随分と変わり、あの頃の自分はああだったな、なんて説明してながら感慨に耽る

歳をとったね、なんて笑いながら話す

こないだ友達の結婚式に行った話を聞く

マジ?最高だけど最悪だね、なんて笑う

 

もう音楽はやらないかもしれないけれど

ライブハウスの中で深まった僕達は

ミュージシャンであり、バンドマンである前に

1人の人間だった

 

全ての関係の中に物語があり

それをどれだけ盛大なドラマにするか

自分次第だ!

 

元気でいてくれよ、生きて

必ず健康なままで、また会おうね

 

俺はまだ続けてみるね

 

またね

おやすみ

24歳

24歳の誕生日プレゼントに
両親から印鑑もらった。本当に嬉しかった。
婚姻届とか出す時に必要でしょ、って言われたけど
でも俺はメジャーデビューの契約で使うよって返した


母さん笑ってくれてたけど
父さんは苦笑いしてた

 

こんな息子でごめんよ、だけど
とってもとっても幸せです
産んでくれてありがとう

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